農機具から製茶機へ。
戦時中は軍事品製作等を手掛ける
藤田鐵工所は農機具の鍛冶職として大正3年(1914)に藤田太作が仕事を始めたことを原点とする。太作はやがて地元の特産である製茶に目を向けて、製茶機械の部品作りを手掛けるようになり、さらに製茶機械自体の製作へと手を広げていった。戦争の時代に入ると、日本楽器製造株式会社の専属工場として航空機の部品を製作するようになった。
エンジン部品・小型汎用部品の一貫生産から熱間鍛造・冷間鍛造・切削・浸炭焼入・研磨の単一加工生産まで
のりもの関連
モーターサイクル・スノーモービル・ATV・船外機用の分割コンロッド・一体コンロッドや一体クランクシャフト・組立型クランクシャフトやクランクピンの製造をしております。
農機具関連
刈払機・チェーンソー・パワーブロワー・エンジンカッター等の小型汎用エンジン用のコンロッド・クランクシャフト・組立型クランクシャフトや刈払機アタッチメント用アーム・シャフトを製造しております。
その他
コンプレッサー・介護ロボット用のシャフトや消防ポンプ用のコンロッド・クランクシャフト以外にも製造をしております。
鋼材成形からミクロン単位に仕上げる技術力で二輪、船外機、農業用、消防用、ホビー用に使用されるエンジン部品のクランク,コンロッドをメインにコンプレッサーやロボット用の部品製造を手がけています。
魅力ある製品は世界へ向けて供給しユーザーに感動を味わっていただいています。製品作りに限らず、専用機,自動搬送装置の設計製作を行い常に斬新な物作りに挑戦しています。
藤田鐵工所100年の歩み
大正3年創業。当初は製茶機械、工作機械を手がけ、現在は二輪車エンジン部品と・小型汎用部品を製作しております。
金型製作・熱間鍛造・冷間鍛造・熱処理加工・切削加工・研磨加工及び組立と一貫製造ができる世界でも数少ない専門部品メーカーです。
藤田鐵工所は農機具の鍛冶職として大正3年(1914)に藤田太作が仕事を始めたことを原点とする。太作はやがて地元の特産である製茶に目を向けて、製茶機械の部品作りを手掛けるようになり、さらに製茶機械自体の製作へと手を広げていった。戦争の時代に入ると、日本楽器製造株式会社の専属工場として航空機の部品を製作するようになった。
戦後は各社の自動二輪車部品の製造を開始、特にクランクシャフト、コンロッド、及びシャフト類の鍛造より切削、熱処理、研削完成まで一貫加工の基盤を確立する。高度経済成長期の波に乗り、昭和35年(1960)に精密型打ち鍛造部門を分離独立して大和鍛工株式会社を設立。さらに昭和39年(1964)には将来の金型の重要性に目を向け、熱間鍛造金型、冷間鍛造金型、プレス金型の3部門を分離統合して株式会社富士金型製作所を設立し独立させた。昭和45年(1970)には事容拡張のため工場を分離し、南工場と命名創業を開始した。
業容の拡大に伴い、シェアを海外に求め、昭和48年(1973)にはオーストラリア・シドニー市にあるVICTA社へ、芝刈機のエンジン用クランクシャフト・コンロッドの生産と輸出を始めることになった。翌年の昭和49年(1974)にはアメリカのBEAIRD社との取引を開始した。国内では、三菱重工業株式会社、名古屋機器製作所、川崎重工業株式会社、新ダイワ工業株式会社、富士重工業株式会社、石川島芝浦機械株式会社との取引を始めた。グループの生産力強化に伴い、昭和53年(1978)聖和熱処理工研株式会社を設立。平成3年(1991)には株式会社フジタを設立した。
経済のグローバル化が進展する中で、企業間競争に勝ち残るには生産コストの低減は大きな課題となっていた。コンロッドの納入先であるヤマハ発動機からインドネシア進出の打診があり、平成14年(2002)インドネシアに PT.FUJITA NDONESIA を設立した。順調な受注と設備増強を背景に、藤田鐵工所の品質が認められ、ベトナムでもコンロッドの一貫生産ができる加工工場の話を持ち掛けられた。平成22年(2010)ベトナムにFUJITA VIETNAM CO., LTDを設立した。
藤田鐵工所の生産拠点である南工場は昭和45年(1970)に建設され、事業の拡大とともに規模も拡大させてきた。当初は加工ラインが単独で稼働していたが、より生産効率を高めるため、一貫加工が可能な製造ラインへと進歩させてきた。平成25年(2013)には南工場第一事務所が竣工し、藤田グループ組織を支えている。
平成26年(2014)1月4日に創業100年を迎える。「NEXT100」を企業理念として掲げ、この先の100年に向けてのビジョンとした。